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クアン・ガイ(Quang
Ngai)省リー・ソン(Ly Son)島は面積約10平方キロメートルで、人口はロン(Lon)島のアン・ハイ(An Hai)町、アン・ヴィン(An
Vinh)町、ベー(Be)島のアン・ビン(An
Binh)町を含んで2万人である。人口はロン島の西側に集中する。リー・ソン島の人民たちの主な経済収入は550ヘクタールのタマネギ、ニンニクの生産と500隻の船による沖合漁業から得られる。リー・ソン(Ly
Son)島はホアン・サー(Hoang Sa)地域、チュオン・サー(Truong
Sa)地域において、国を守るために戦った現地民兵に生贄を捧げる風習がある。
勇敢な民兵たち
歴史によると、3、4世紀前にグエン(Nguyen)朝時代の領主(1558年~1777年)はホアン・サー群島における領地主権を早く確立した。毎年、グエン朝時代の領主たちはホアン・サー群島へ船で来るために、優れた水夫70人
を民兵として選んだ。この民兵はサー・キー(Sa Ky)海港地域、アン・ビン(An Vinh)町、アン・ハイ(An Hai)町の村からの民兵も含む。領地主権を守るという目的で自分の群島を保護するために、ホアン・サー民兵軍を設立した。
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 クアン・ガイ省のリー・ソン島
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 リー・ソン島ヴィン・アン町のアン・リン・トゥー(Am Linh
Tu)遺跡で開催されるホアン・サー民兵崇拝祭
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 ホアン・サー(Hoang
Sa)民兵崇拝祭
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 ホアン・サー島を守るための部隊出発儀式を追憶するために、 バナナ木の幹で作られた船、紙で作られた操り人形を海に放つ各家系の代表
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 1834年クアン・ガイ地方の裁判官が民兵に、ホアン・サー島を守る任務を命じた文書はダン・レン氏とダン家によって175年間保存されてきた。
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 クアン・ガイ省文化・スポーツ・観光局グエン・ダン・ヴー(Nguyen Dang
Vu)局長にホアン・サー島に関する資料を渡すダン・レン(Dang Len)氏(青色の長い衣服)
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 毎年、祭りで行われるボートレース
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リー・ソン島の漁民たちはよく泳ぎ、優れた水夫であった。アン・ビン村は船を製造する伝統がある。昔のホアン・サー民兵は群島を守る任務のために、グエン朝の朝廷より、6ヶ月分の十分な食品や所持品を供給された。気候の良い時には、ホアン・サー島への渡航時間は約3日であった。
現在、リー・ソン島アン・ハイのドン・ホー(Dong Ho)村では、ダン・レン(Dang Len)氏の家族がホアン・サー民兵軍に関する古い文書を保存している。この古い文書は175年間(1834年~2010年)にも亘って、ダン家によって保存されている。同文書によると、明命年(1820年~1840年)4月15日(甲午年-1834年)にホアン・サー島を守る24名の水夫と3隻の船からなる1つの船団があったという記録が残っている。
ダン・レン氏はダン・ヴァン・シエム(Dang Van Siem)氏の曾孫で、シエム氏はホアン・サーへ渡る民兵のために道案内の任務を命じられた人である。グエン朝時代の正史によると、1836年、ファン・ヒュー・ヌアット(Pham Huu Nhat)海軍指揮官は明命王により、ホアン・サー島、チュオン・サー島に主権国境界標を建てる人として選ばれた。民兵たちはホアン・サー島へ来て、6ヶ月の間、魚や海産物を獲り、貴重なものを守って生活した。航路を測定し、ホアン・サー地域に来る船の税を徴収し、海賊から防衛し、主権国境界標を建てる責任を負った。激しい波、海嵐によって民兵たちは数多くの危険に直面するので、ホアン・サー島へ来る前に、すべての民兵たちは自分の葬儀を準備し、もし死んだ場合、船員仲間は死体をマットで包み、埋葬のために本の故郷へ流れ着くように、海へ放った。
数多くの民兵たちが死んだ。嘉 隆王(1802年~1820年)と明命王(1820年~1840年)により、ホアン・サー島、チュオン・サー島を守る責任者として選ばれた民兵指揮官ファン・クアン・アン(Pham Quang Anh)(乙亥年-1815年)、海軍指揮官ファン・ヒュー・ヌアット(Pham Huu Nhat)(1836年-丙申年)は海で死んだ。リー・ソン島の砂州には、ファン・クアン(Pham Quang)家、ファン・ヴァン(Pham Van)家、ヴォー・ヴァン(Vo Van)家一族の死者の骨がない墓は過去の悲壮な証である。200年前に、ホアン・サー島を守るために民兵たちを指導したファン・ヒュー・ヌアット海軍指揮官の墓は長い砂州の青いトウモロコシ畑に置かれている。長年に亘って、子孫たちはホアン・サー海軍を追憶するためにリー・ソン島の墓に線香をあげる。
ホアン・サー民兵崇拝祭り
昔から今まで、毎年、陰暦2月10日から20日まで、リー・ソン島の家系たちはホアン・サー海軍を追憶するために、「ホアン・サー民兵崇拝祭り」を開催している。家系の崇拝場において儀式が執り行われた後、紙で作られた操り人形、米、塩、薪、淡水、漁網などのホアン・サー海軍が島へ来るとき常に持って来た象徴的な物をバナナの木の幹で作られた船に置くなどの数多くの儀式を開催する。平安への祈り、不幸を追い払う祈りを書いた紙がこの船に置かれる。海には、紙で作られた操り人形を放ち、海軍に加わった人に代わって死ぬ。ホアン・サー民兵の崇拝祭りは終わると、海軍の人たちは1回死んだということになるそうだ。昔のホアン・サー民兵軍隊の亡霊は6ヶ月間も海の様々な危険に直面しなければならないのに、また引き続き死ぬと信じられている。それはまるで、海軍軍隊に加わる人が参加するホアン・サー民兵の崇拝祭りは1つの生贄を捧げる風習ということにもなる。
ホアン・サー民兵崇拝の祭は陰暦2月10日から20日までファン・クアン家、ファン・ヴァン家、チュオン(Truong)家、グエン(Nguyen)家の崇拝の場で開催された後、陰暦3月15日、16日、アン・リン・トゥー(Am Linh Tu)遺跡において開催される。この祭りにはベトナムの主権を確定し、国家領地を守るため、数百年前にベトナムの海、島地域で死んだホアン・サー民兵、チュオン・サー民兵、海軍を崇拝するという意義がある。
文:グエン・ダン・ラム(Nguyen Dang Lam) 写真:グエン・ダン・ラム(Nguyen Dang
Lam) |